21年ぶりの優勝、そして暗黒へ‥‥

 2003年9月15日、阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝を果たしました。星野仙一監督の言葉を借りて言うと「夢に日付をかける事ができました」。そう、阪神ファンにとっては優勝なんてまさに夢のまた夢でした。
 思い起こせば18年前、阪神タイガースが21年ぶりに優勝、そして日本一になりました。当時、高校生だった自分は、群馬という土地柄クラスに2、3人しかいないタイガースファン(うち、一人はその年にファンになった)と喜びを分かち合っていました。バース、掛布、岡田、真弓を中心とした圧倒的な破壊力を持つダイナマイト打線。投手が5点取られても7、8点取り返す野球に関西だけでなく日本中が沸き返っていた。あれから18年‥‥。高校生が既に30代半ばのオヤジになるくらい長い年月が過ぎていました。
 そもそも、自分が阪神ファンになったのは小学校に入学した頃だったと思います。それまでは、「野球が好きな関東の子供は巨人ファン」の例に漏れず、ジャイアンツを応援していました。王(現ダイエー監督)がホームランを量産している頃、背番号1のユニフォームを模倣したTシャツをよく着ていたのを覚えています。それが何故阪神ファンになったのか?自分でもよくは覚えていませんが、阪神ファンだった親父の影響か、もしくはひねくれ者の性格ゆえ、(当時)常勝ジャイアンツに嫌気がさしたのかも知れません(ヤッターマンよりドロンジョ、トンズラ、ボヤッキーの悪役3人組を応援していたくらいなので)。しかし子供だったこともあり、当時の選手で覚えているのは田淵・江夏くらいだったのでそれほど真剣に応援していたわけではなく、「登校時に被る帽子が黄色と黒の阪神帽」程度のファンだったのでしょう。
 もう少し真剣に応援し始めたのは少年野球を始めた頃から。田淵・掛布の活躍、小林繁の最多勝など、放送がある巨人戦はよく観ていたし、新聞で順位とかもチェックするようになりました(でも田淵の移籍とカラフルな色使いで西武ライオンズの帽子を被っていたこともあるんだけど‥‥がんばれタブチくんも面白かったし)。アンチ巨人になったのも、江川事件があったこの頃でした。それからは強いジャイアンツを倒すのを楽しみに観ていました。しかし‥‥それからしばらくタイガースは中途半端な順位を彷徨っていました。
 そして1985年、冒頭で触れた21年ぶりの優勝を味わうわけなのですが‥‥。
 1985年、この一年の様々なシーンは今でもよく覚えています。バース(三冠王・MVP)・掛布・岡田のバックスクリーン3連発に始まり、真弓を加えた4人で163本塁打の凄まじいまでの破壊力、それに似合わぬ小技やファインプレー、取られても後半取り返す逆転試合の数々、中西(セーブ王)の火消し、熱狂する甲子園球場、鳴り止まぬ六甲おろしの大合唱、勝利に涙するファン、吉田監督の胴上げ、カーネルサンダースの胴上げ&ダイビング、日本シリーズの名勝負、長崎のシリーズを決める満塁本塁打、そして初の日本一・・・。ファンになって以来、あまり喜ばせてもらった事はなかったけど、今までタイガースを応援して来て本当に良かったと思えた一年でした。
 その翌年の1986年、バースが打率.386、47HR、109打点で二年連続三冠王をとるも掛布の左手首骨折が響きチームは4位に低迷しました。しかしその時は「まぁ掛布が故障を治し、岡田が復調すれば来年はまた優勝争いに加わるさ。」と気楽に考えていました。これから始まる暗黒時代なんて想像もせずに・・・。
 1987年、チームは全く別のチームになっていました。打てない打線、ボコボコに打たれる投手陣。他球団には完全にカモにされ、借金は勝ち数を超える42。打率と見間違う勝率は.331。首位巨人に37.5ゲーム差をつけられダントツの最下位。優勝した2年前の面影はどこにもありませんでした。
しかしそれは、これから始まる暗黒時代のほんの序章にしか過ぎなかった。
 1988年、掛布は怪我に泣き、岡田はパッとした活躍を出来ないでいました。そして運の悪い事にバースの息子・ザクリーくんが難病にかかり、帰国を余儀なくされてしまう。問題はその後、なんと阪神球団はバースを一方的に解雇してしまいました。信じられなかった。史上最強の助っ人をなぜ解雇するのか(この問題は阪神のケチなフロントが原因によって起こり、後に球団社長の自殺という悲劇を生む)。唖然とし、身体の力が抜けていった。大好きなバースがもう甲子園のバッターボックスに立つ事は無い。考えただけで寂しさと悔しさがこみ上げて来ました。タイガースのフロントが信じられなくなった。応援する気力も失せていった。そして同じ年、左手首骨折後、以前の活躍がすっかり影を潜めた掛布が後を追うように引退。自分にはもう、タイガースを応援する理由がなくなっていた。本気でファンを辞めようと思いました。それでも他のチームを応援するなんて出来なかった‥‥。
 それからしばらく、和田の活躍くらいしか記憶が無い。応援しても負けの繰り返し。これほど応援のしがいが無いチームもなかった。